REPORT

イストリアン・スプリング・トロフィ(UCI2.2)※レポート後編

開催日 3月13日〜16日
開催場所 クロアチア

参加メンバー:アレッサンドロ・ビソルティ(総合10位)、ダニエル・パウルス(総合135位)、アントニオ・ヴィオラ(総合153位)、秋丸湧哉(総合160位)、山本元喜(第3ステージDNF)

大門宏監督のレポート(後編)
大会3日目となる第2ステージも昨日と似たコースプロフィール(山頂ゴール)。しかし後半の山岳区間は昨日より厳しい設定だった。翌日の最終ステージは平坦で、大集団によるスプリント勝負が予想されたため、アクシデントがない限り個人総合の争いの焦点とも位置付けられるステージだったと思う。

第1ステージ同様のコースプロフィールと言うことで、基本的には今日もビソルティ、パウルスにゴールでの“結果”を託したオーダー。戦略の要点はリーダージャージを着る選手が、山岳を得意としてることと、後半(ラスト40km)に山岳区間が控えてること。

リーダーチームの思惑はある程度予測できた。山岳を苦手としないリーダーを抱えるチームにとっては、落ち着いて少人数の逃げを容認しながら、焦らずコントロールして、後半“料理”するという解りやすい展開。最後は昨日同様、山岳を得意とする選手同士の力勝負に持ち込まれる図式が想定された。

秋丸、山本には昨日と同じオーダーが指示された。スタート直後から繰り返されるであろうアタック合戦を警戒しながら、逃げグループのローテーションに乗るよう努力すること、もし逃げのグループに乗れなかった場合は、気持ちを切り換えて、ビソルティやパウルスの近くで体力を温存しながら、メイングループで待機&万が一の援護対応、後半やゴール前の山場で彼らと同じ位置で登るよう集中しながら、出来るかぎり全力を尽くすことを目標とさせた。

少し話は反れるが、その“逃げに乗る”という作戦&展開も、一般の方にロードレースを解説するうえで、理解して貰うことが非常に難しいキーワードでもある。一般的なプロスポーツ(モータースポーツ含む)では、タイムアドバンテージを与えて先行するという状況や目的は、常に自らの勝利を意識した動きを前提としているのだが、ロードレースの場合はそのあたりの事情が異なる。

現場で指揮を執る監督にとっては、単にチームプレーのほんの一部に過ぎないのだが、ロードレースのチームプレーほど正しく伝える難易度の高い競技は他にないのではないかと思う。「なんとなく理解」と「完璧に理解」との間に生じる隔たりを埋めるのは簡単では無い。「今日の敵は明日の友」と言ったこの競技独特の利害関係が生ずるチーム同士の“駆け引き”も一般のスポーツファンには難解だと思う。

真意は色々だと思うのだが、熟練の選手や指導者から、「チームプレーなしで勝ちたい」とか「チームプレーで勝ったのだから実力じゃない」、または「弱いからアシスト」「アシストは卒業」「あのチームを買収したから勝てた」という軽はずみな話が飛び出すことも珍しくない。そういった雰囲気も一般的なファンや、基礎知識のない報道関係者からの誤解を招く原因になってるように思う。

とても大切なことなのだが、チームプレーで得られた成績は、スポンサー、スタッフも含めた共同作業の賜物でもあるのだ。本人は頭では理解しているつもりなんだと思うが、本質を理解しきれてないために行動や言動が伴っていない「知ったかぶり」はじつに多い。そういう雰囲気は何も日本だけではなく、ヨーロッパ(国にもよるが……)でも少なくない。

「チームプレーとは何ぞや?」と言う、本質的な観点から言えば、日本では人気の高い野球など球技は非常に解りやすい。日本独特な種目だが、駅伝もメンバーが協力するという点では単純明快だ。この駅伝の成績とステージレースのチーム団体成績は本質的な「意味」が全く違うのだが、日本で素直に理解して貰うのは本当に難しい。決して笑えない話だが、それを説明するだけでいつも日が暮れてしまう。

ロードレースが、本場のヨーロッパでは昔から文化、歴史とは切っても切り離せない関係だった。共に進化を遂げたきた背景も見逃せない。他の要因も多いと思うが日本人の好きなオリンピック競技として根付かない(認知されない)理由はそういった所にも原因があるんじゃないかと思っている。

もうこの競技と付き合って30年以上になるが、自分自身にとっても“チームプレーの本質を知っていただくこと”は自責の念に駆けられることも多く妥協点の見えない永遠のテーマでもある。ただ最近になって良く考えるのだが、理解を得る一番の方法は、やはり個別のQ&A方式のような気がする。特に自転車ロードレースがマイナーである日本では認識度も人それぞれ多岐多様。たとえどんな初歩的な疑問に対してでも、その人の視線に立って丁寧に解説するのが一番効果的なのではないかと思っている。

日本では歴史の長い競輪と、ロードレースを混同して考える人もまだまだ少なくない。どちらも立派なプロフェッショナルスポーツなのだが、その違いすら律儀にちゃんと説明できないロードレース関係者&ファンも少なくないこの実情は困ったものだ。ずいぶん脱線してしまったが、話を本題に戻そう……。

レースはスタート直後からハイペースな展開で進み、中盤にようやく6名の逃げが決まったが、我がチームからは誰も送り込むことは出来なかった。メイングループの牽制も手伝って、逃げ集団とメイン集団のタイム差は最大6分近く開いたが、ラスト40kmを切った山岳地帯で、案の定リーダーチームの牽引でメイングループは一気にペースアップした。しかしそのタイミングで、秋丸が後方から追突されて、後輪のスポークが大破してしまった。機材の交換対応にそれほど時間は掛からなかったが、そこで秋丸は脱落してしまう。ピュアスプリンターのヴィオラもそこから徐々に後退。

リーダーチームが手綱を緩めることなく、メイングループを断続的に牽引したため、メイングループも崩壊。グループの中で体力を温存して構えていたはずの山本も、堪らず一時千切れるが、長く分断されたグループのテール付近で山岳ポイントをぎりぎりクリアし、その後の下りで復帰。メイングループも最後の登りに向かう平坦路で、ようやく逃げグループを射程内に捕らえた。

沈静化したメイングループで、再度回復に努めていた山本からチームカーが呼ばれボトルを要求されるが、ラスト20kmを切っていたため、ルール上審判から却下されてしまった。ビソルティからの要求だったらしいが、監督のスペツァレッティから言わせれば、「明らかにビソルティの在り得ないミス」。ゴールを目前にして、彼は頭を抱えて早くもイライラ度最高潮。そうこうしているうちにメイングループは逃げグループをラスト10kmで吸収し、レースは振り出しに戻った。

後方からも千切れていたいくつかの小グループも追い付き、約130名の大集団でゴールまで残すところ3kmの石畳を含む登り区間に突入した。

結果はビソルティ9位(19秒遅れ)最後まで力を出し切ってゴールを目指した山本は1分40秒遅れの80位、一方、期待していたパウルスは上り口で「今日は調子が悪く勝負できない」と感じたらしく、早々諦めて下がってしまった。

その態度に監督のスペツァレッティの怒りも爆発。「いくら調子が悪くても数kmくらいビソルティのポジション争いをアシストすることもできただろう」と……。パウルスはレース後、山本に「勝負(上位争い)に参加できないんだったら、明日のことを考えてユックリ登ったほうがいいんだよ」と偉そうにアドバイスしていたが、それを聞いたスペツァレッティは再度爆発。「今日のオマエが言うことじゃない」と……。

パウルスのアドバイスは確かに的を得てることなのだが、今年はヨーロッパに遠征できる期間が限定されている山本にとっては、1戦1戦が貴重。場合によっては、力を出し切ってゴールさせることも大切なのだ。

そして迎えた157kmの最終ステージ。前半に小さな丘の上の山岳ポイントが控えてるが、そのあとは平坦基調で、後半は周回コースを3周するコースで争われた。

今日はスプリンターのヴィオラにとって待ちに待ったステージ。スタート前も今日はビオラのために「チームが一丸」になるようにスペツァレッティから指示が飛んだ。

スタート直後の山岳ポイントで、いきなりメイングループが真っ二つに分断。丁度横風が吹いており、どこかのチームが意識的にペースアップしたようだった。たとえ平坦ステージと言えども、こういうことが起こるから、選手は常に安心してはいけない。

レースが終わってから聞いたのだが、後ろに取り残された山本も、追いつくために相当無駄脚を使わされたようだった。その時のダメージが効いたのかその後、なんてことない下り基調の平坦区間でも単独で取り残されてしまった。メイングループがハイペースで一列棒状だったとは言え、チームカーの車列の間に入って復帰を試みる本人は相当辛そうだったが、メイングループのペースは全く落ちず、徐々に後方に取り残されてしまった。「決して単独になるな! ペースでゴールを目指すよう」に指示して、チームカーもメイングループに上がった。

後半3周する周回コースに入り、秋丸が機材故障を訴えながら下がってきた。即座に応急処置ができないと判断し、代車と交換、再スタートするも、狭くてコーナーの多い周回コースで、30台のチームカーを抜きながらメイングループに復帰するのはそう簡単なことではない。

秋丸は約1周、車列の狭間で追走したあと、なんとかメイングループに追い付いたが、代車が上手くフィットしなかったようで戦列を離れてしまったのは惜しかったが、その後単独でゴール目指して、最後まで走り切った。

レースはそのままラスト1周に突入、大集団のままでのゴール勝負となった。結果はヴィオラが2位。ゴール直後は3位とアナウンスされていたようだが、シャワーを浴びてから2位と聞かされ、悔しさの倍増した表情が監督のスペツァレッティと一緒で印象的であった。この日同タイムでゴールしたビソルティは個人総合10位でレースを終えた。

今シーズンのチーム体制を考えれば、このクラスにおいて、決して特別な結果ではなかったが、それぞれ置かれている選手の現状を考えれば、納得できる範疇の結果だったのではと思う。今回の帯同を振り返り、改めてこのカテゴリーのレースの現場に立ち会う事の重要性を再認識させられた。

「世間に伝える」という意味で、近年の僕は、日本で放送されるようなトップカテゴリー(3大ツール&ワールドツアー)には全く関心が沸かない。上手く表現できないのだが気持ちが完全に冷め切ってしまっている。

今回僕が帯同したレースカテゴリーは日本で伝えられることは、まずないだろう。「競技と向き合う」と言う意味で、立場や関わり方が違うのだから当然と言えば当然。ただ現在の日本人の競技レベルを考えるなら、最も注視し地道に足を運ばなければならない現場であることは間違いない。どんなに大きな理想を掲げ、日本のロードレース界の将来に向け大きな夢を掲げたとしても、このステップを抜きにしては決して語れないのだ。

もう30年以上も昔の話だが、他大陸から西ヨーロッパに最初に、組織的に乗り込んだのはオーストラリアだった。彼らはオリンピック協会(日本で言うとJOC)のメインスポンサーだった保険会社(A.I.S)から全面的なサポートを得て活動していたが、今から思えばスタッフの体制に関しての倫理や本国からの派遣システムも徹底していた。

彼らもベースキャンプとして選んだのは北イタリアだったので、彼らがオーストラリアから乗り込んできた最初の頃のことを今でも良く覚えている。その頃、現場を率いてたのがバナン監督(のちにファースディビジョンチームのグリーンエッジを創設)とブライアン監督だったのだが、2人ともに若くてとても優秀な人材だった。

当時、時々スポットでアンダーのナショナルチームを引率していた僕もイタリアのレースで良く一緒になったものだが、同じ遠方から来ている仲間として受け取ってくれたのか、お互い良く話をした。毎年のように若いメンバーでツアー・オブ・ジャパンに参加していたのもその頃だった。

初めてバナンと会った頃は、彼も英語しか話せなかったのだが、年を追う度にイタリア語もドンドン上達。気が付いてみたらいつの間にかオルガナイザーの秘書さん(イタリア人)と結婚して、子供がいてビックリした。彼とは良く愚痴(イタリア人に対する)も言い合ったが、今の彼の置かれている立場(地道に数十年掛けて成し遂げたこと)を、素直に微笑ましく思う。

そして最近、西ヨーロッパで目立つのはロシアを中心とする東ヨーロッパのチーム。前編で「ノルウエーからも大挙して押し寄せてる」と紹介したばかりだが、彼らは渡り鳥のように季節限定で南下し、活動している連中に過ぎない。

昔は東ドイツとともにナショナルチーム一辺倒の活動だったロシア(旧ソビエト社会主義共和国連邦)も、ベルリンの壁が撤廃され、連邦が崩壊してから、クラブチームの活動が活発化していた。当初は、フランスを舞台に“賞金稼ぎ”をして荒らしまわっていたのだが近年、特に今年からチーム数(コンチネンタル)が一気に増えた。さらに、どのチームも全て自国の選手で、93、94年生まれの若い選手中心なのが特徴だ。

またいずれのチームもロシアのワールドツアーチーム・カチューシャを支配下に収め、連盟のトップに君臨するドンであるマカロフ氏の影響を強く受けている。天然ガスの世界一企業であるガスプロムを筆頭とするチームカチューシャの協賛スポンサーの面々が良い例だが、ロシアの経済界における彼(マカロフ氏)のコネクションパワーや勢いは凄まじい。

新しく誕生したコンチネンタルチームの一つは世界的に有名なヘリコプター製造メーカーだったりするのだが、こういう図式を眺めていると、まさに国の威信を掛けた国家プロジェクトとも思える。ロシアの企業が大挙してジュニア、女子からワールドツアーまでの全てのカテゴリーを育成を含めて全面的に、本気で支援してる様子が伺える。

そして女子を含む5つのロシア籍コンチネンタルチームは、イタリアのリゾート地でも有名なガルダ湖湖畔にキャンプベースを構える。同じロシア語圏のアスタナ・コンチネンタルチームの拠点も近い。

ある意味協賛している企業が撤退したら……と考えると怖い話だが、この環境で育った選手やスタッフにとって、実力さえ認められれば、西側のチームは決して放っておかないだろう。たとえ支援を打ち切ったとしても、スポーツに通じた国益として残るのは間違いない。

スイスの財閥がオーナーのBMCやIAMもそうだが、最近は一人の財閥がチームを所有する例も目立ち始めている。

この業界が長いイタリア人の中には、羨ましそうに指を咥えながら「彼らのスタイルがロード界の未来」と言うヤツもいるが、僕は決してそうは思わない。だが、僕なんかの立場から見ると、オーストラリアやロシアのスタイルを、“スタッフ含めての育成環境の提供の場”として考えるなら、たしかに羨ましいスタイルかもしれない。

日本人の育成のためにも、それらの新興国のシステムに注目し続けていきたいと思う。