REPORT

イストリアン・スプリング・トロフィ(UCI2.2)※レポート前編

開催日 3月13日〜16日
開催場所 クロアチア

クロアチアでの3連戦(3月5日ウマグ・トロフィ、3月9日ポレック・トロフィ、3月13日〜16日イストリアン・スプリング・トロフィ)の最終戦。約30チーム、200選手が参加する、このクラスのレースとしては異例の大会となったが、第1ステージ、第2ステージの山岳で、チームでエースを託されたアレッサンドロ・ビソルティが健闘し、総合10位でフィニッシュ。また最終日、第3ステージではアントニオ・ヴィオラがスプリントでステージ2位となった。

参加メンバー:アレッサンドロ・ビソルティ(総合10位)、ダニエル・パウルス(総合135位)、アントニオ・ヴィオラ(総合153位)、秋丸湧哉(総合160位)、山本元喜(第3ステージDNF)

大門宏監督のレポート(前編)

自身にとっては久しぶりにクロアチアのステージレースに立ち会った(3連戦の最終戦、4日間のステージレース)。3月は調子を確認するためにも、どこのチームにとっても実戦が必要な時期でもある。このクロアチアのレースは、昔からUCIレースだったとは言え、期間中の滞在費がチーム負担と言うこともあって、近隣諸国からは敬遠されがちな大会だった。しかし近年は、コンチネンタルチームが急増した影響もあり、レースを探し求めるチームも激増……。同じ地域で数レース開催される貴重なレースとして、再認識されつつあるようだ。

このレースには昔から、レースに餓えたドイツや東ヨーロッパ諸国のチームが大挙して押し寄せる。今年も30チーム、193名がスタートした。チームカーの序列を考えてもUCIの規則ギリギリ、過剰と思えるチーム数だが、オルガナイザーからの話によると、今年は例年よりリクエストが多く、約20チームはレースへの危険性を配慮して断わったそうだ。

目立った有力チームとしては、昔からオランダのラボバンクのコンチネンタル(育成チーム)が、継続して今回も参加しているが、今年は北欧スカンジナビアからのエントリーが多く、ノルウェーからは4チームが来ていた。ノルウェーナンバーの車両はイタリアでも滅多に見ない。この辺りの住民にとって北欧は2000km以上離れた遥か彼方の地だ。一般常識的に車で訪れる地域ではない。所要時間を考えれば、ある意味、日本に行くよりも時間が掛かるのだ。

彼らから話を聞くと案の定、北欧ではシーズンが始まるのが遅いので、約3週間滞在し、メンバーによってはトレーニングキャンプを兼ねて、やってきているようだ。余りにも文章が長くなってしまうので、次回のレポートでも書こうかと思うが、最近活動が目立ってきているロシアのチーム(ロシア人オンリー)も3チームがエントリーしていた。彼らの素晴らしい育成計画については、デメリット(懸念材料)も交えながら改めて後編で紹介したい。

僕にとってこのレースは色々と思い入れの強いレースでもある。僕がチームを率いてから、これまで何度も参加してきた。最後に現場監督として参加したのは、もう5年以上前になるが、その時はトレーニングキャンプやチームの撮影も兼ねて、数週間滞在したものだ。あの頃は、今は引退している真鍋や岡崎、中田などもいた。

ちなみに、当時は斬新だった上下ホワイトカラー基調のデザインを初めてチームジャージに採用したシーズンだったのだが、先走りし過ぎたのか「不評」だった。記憶力の悪い自分も「やってしまった感」を拭い切れなかったことをよく覚えている。

その時と同じシーズンだったかは不明瞭なのだが、個人総合成績で上位にいた岡崎が、レース中に腹が痛くなったとかで突然「紙ありますか?」と叫び、とっさにメカニックからボロ切れ(ウェス)を奪い取って渡したが、その途端にいきなりコースを外れて、沿道の木陰に突進した光景を今でも鮮明に覚えている。あの時は遠く離れて行くメイングループを、完全に停止したチームカーからイライラしつつ見ながら、岡崎の「緊急事態の処理」を横目に待ったものだ。あの頃の選手には、他にも伝説になりそうな話が山程あるのだが、肝心の今回のレースについてさっさと書こうと思う。

初日は2kmのプロローグ(個人タイムトライアル)だったが、我々のチームは、皆コーナーで用心したようで、誰も成績が振るわなかった。唯一期待したビオラも、不発に終わった。監督のスペシャレッティにしてみれば、ここでの結果が30ものチームカーの序列に繋がるため、さぞやガッカリしたであったことだろう……。

今回のように、アクシデントも多く想定されそうな、狭い曲がりくねったテクニカルなコース設定を考えると、出来る限りチームカーは前が良いのは当たり前のこと。翌朝スペシャレッティから、冗談で勝ち誇ったように27番のチームカー用シールを見せられた自分は、苦笑するしかなかった……。新米監督の彼にとっては、難しいコーナーをクラッシュ覚悟で「死ぬ気で突っ込め」(翌日のチームカーの序列に配慮して)とは、なかなか言えないものだ。

2日目、第1ステージは石畳を含む登りにゴールが設定されたアップダウンコースであったが、前半からの逃げグループに入るように言われていた3名の中で秋丸が6名の先行グループに乗ることに成功した。

このミッションは、育成途上にある選手にとっても、誰にとっても教本どおりのスタンダードな基本オーダーなのだが、ステップとして凄く大切なことだといつも思う。この場で説明すると長くなるのだが、実戦で逃げに乗ってローテーションを繰り返すことへのトライは、強くなるために必要不可欠なトレーニングの通過点でもあり、資質やセンスを問われるミッションでもある。

僕からもスタート前に、たとえ失敗しても積極的に逃げに入る努力は惜しまないこと、たとえ逃げに入ることが出来ずにエネルギーを消耗させられ、大失速したとしても、タイムオーバーにならない範囲で、自分のもっている力を出し切ることが大切だと伝えた。今回のように200名のエントリーレースでは前で展開せず、集団内で単に完走をめざすだけでは、わざわざ高い滞在費用を払ってレースに参加してる価値や意味はないのだ。

今回は各ステージのコースプロフィールが明解だったこともあり、登りのステージではビソルティ、ゴールスブリントはビオラがエースと明確に決まっていたので、チームメイト同士の連携、任務も予測しやすかったように思う。

話を元に戻すが、その逃げグループでは秋丸もローテーションに加わり健闘したが、それを追うメイングループも、リーダーチームが後半厄介になることを警戒したため約1分前後でタイム差を維持。それでも先頭グループは80km近くを逃げ続け、山岳ポイントの前で吸収された。

その後、山本も何回かアタック合戦に加わったが、決定的な逃げグループは作れずに、レースは終盤に入る。いよいよラスト10kmを切り、ゴールまでの登りに差し掛かかるタイミングで、パウルスが他の選手と絡んでクラッシュ……。バイクもダメージを受け、その場で数分間停止を余儀なくされた。

パウルスはオーストリア国籍、弱冠20才(U23カテゴリー)の選手で、本来ビソルティに次ぐ登坂力を持っているが、このタイミングでのアクシデントは本人にとっても痛かった。昨年も参加し、今日のコースを熟知していたパウルスは、得意なコースで調子を試すことが出来ず、怪我の痛さも追い討ちになってか、相当落ち込んでいた。

当然スプリンターのビオラは早々に遅れ、マイペースでゴールを目指させた。秋丸は、本来能力を発揮できるコース設定であったが、逃げに乗って体力を消耗していたこともあって、登り始めで遅れ出してしまった。決して山岳が苦手とは思われない山本も、ほぼ同じタイミングで遅れ出す。まだ仕上がってないとは言え、少々惜しい結果であった。

この日「結果」を託されたビソルティはトップから12秒差の9位でフィニッシュ。もっと上の成績を期待されていたが、昨年は不運に見舞われて(シーズン開幕直前にチームが解散)、丸1年を棒に振った彼にとって、トップレベルへの復帰はそう簡単ではないだろう。謙虚な素振りながら、素直に満足気な彼を見て、この先の自信に繋がれば良いと思った。

※続く、3日目、第2ステージ以降のレポートは後編でご紹介します。
→後編